スタッフコラム

第1回:「今から思えば・・・」

第1回:「今から思えば・・・」

皆様、こんにちは。相続勉強会講師の村上です。

改めまして、新年あけましておめでとうございます。

昨年は相続勉強会をはじめとしたセミナーを通じ、たくさんの方とご縁を頂きました。本年も引き続き、宜しくお願い申し上げます。


さて、新年1回目のコラムですが、弊社チームメンバーから「連載版をやってみては?」というアイデアを頂き今年からスタートする事になりました。

1回目の連載は「私が遺言書を書こうと思ったわけ」です。

日頃から講師として、ご参加頂く皆様に

「遺言書は残してください」としつこいくらいお伝えしておりますが、

そんな自分はどうなのか?という事で私の事を少しお話していこうと思います。


私は大阪生まれの大阪育ちで、4人兄弟の長男として生まれました。父親は元々愛媛県生まれですが、若い頃に大阪に出てきて以降、ずっと大阪でした。母親はといいますと、大阪の堺市というところの生まれで、ずっと大阪です。

私の父親は、私が子供のころは全然家に帰ってくることはなく会うのは確か3か月に1回程度だったと記憶しています。なので、普段は母親が女手一つで子供たちを育ててきました。
母は昔からお酒が好きで、夕方から家でお酒を飲むのが日課でした。

母なりにいろいろストレスもあったのだろうと今では思えるのですが、子供の時はもうそれが嫌で嫌で・・・。

なぜなら、飲むだけならいいのですが、私の母親は残念な事に酒癖がものすごく悪かったのです。酔ったらいつも子供たちに絡んでくるような、そんな母親でした。なので、私は「酒癖の悪い人にはなりたくない」と小さな頃から思っており、大人になってからお酒で人に迷惑をかけたことはありません(笑)

そんな母の実家は大阪の堺市にあり、自宅から行くには電車と徒歩で2時間くらいかかりました。なので、頻繁に行くという事は無く、お盆と年末に母に連れられて行ったことを覚えています。

祖母の家は、熊本でいうと「産業道路」くらいの大きな道路沿いにあり
昔は定食屋をやっていました。土地の広さは恐らく80坪くらいはあったのかなと思いますが、家は古くて入ると定食屋の名残がある家でした。

母は兄が2人と妹が1人の4人兄弟でしたが、この全員が集まるのは年に1度、年末に集まるのが恒例行事だったと思います。

私からすれば叔父さん、叔母さんがみんな集まるので、お年玉がもらえるのが楽しみですし、従妹達にも会えるので楽しみにしていた記憶があります。

でも、そんな楽しい集まりも私にはいやな事がありました。それは、毎年の事なのですが、母がお酒を飲んだら叔父や叔母に絡むのです。残念ながらこれは毎年恒例の、お約束の流れになっていて、今から思えば「なんで飲ませるのか」とさえ思うのですが、本当に毎年、同じように揉めるのです。

母が飲んで少し酔ってくると、だんだん叔父や叔母に絡みだします。最初はみんな「まあまあ」とか言いつつ、笑って流しているのですが、だんだんけんか腰になってきて、最後には大喧嘩・・・ほんと、酒癖悪いのはいやですよね(笑)

今から思えば、そんな母方の兄弟が相続で揉めないはずがなかったなと思います。

なぜなら、祖母の家は立地も良かったので、資産価値は割と高く、また祖父ももともと公務員だったこともあり、現預金も割と持っていたようです。

そんな財産を、毎年兄弟喧嘩しているような子供達が遺産分割協議をして、そもそもまとまるはずがないですよね(笑)今から思えば、祖母や祖父は確実に遺言書を残しておかねばならない人だったと思います。

そんな母方の家族にも相続のタイミングがやってくるのですが、続きはまた次回の更新をお楽しみに✍️お読みくださり、ありがとうございました。

【第2回コラム】 〜子供ながらに感じた「争族」〜 2月10日更新📝✨

過去の相続コラムを見たい方はコチラ🗒️