スタッフコラム

第2回:「子供ながらに感じた争族」

第2回:「子供ながらに感じた争族」

皆様、こんにちは。相続勉強会講師の村上です。

2026年もあっという間に1月が終わり、2月に入りましたね。寒暖差が激しく、体調を崩される方も多くなってきたように思いますが、皆様お体には気を付けてお過ごしください。



さて、連載の第2回です。「子供ながらに感じた争族」

子供のころは母に連れられ、1年に2〜3回ほど、祖母の家に行くのが毎年の恒例行事でした。母方の祖母、祖父には年に数回しか会わない事から、行くといつもお小遣いをくれました。

祖母はいつも、母が見ていないところで「これ持って帰り」とギュっとお金を握らせてくれるのですが、これがだいだい5,000円とか、子供には結構な金額で嬉しかったです。

そうやって母に連れられて祖母に会いに行っていたのは小学校の高学年くらいまでだったでしょうか。中学生になると、あまり行かなくなっていきました。中学生になり、あまり祖母や祖父に会わないようになった頃、母方の祖父が亡くなりました。

お葬式の事はなぜか今でもよく覚えています。祖父は口数が少なくて、ちょっと怖い雰囲気だったので、遊びにいってもあまり話すことは無かったのですが、なんだか寂しかったのを記憶しています。祖父と祖母は2人暮らしだったので、祖父が亡くなってからしばらく祖母1人で暮らしていたようです。

ただ、やはり高齢の祖母を1人で住まわせているのも心配になったのか、母の兄が祖母を引き取る事になりました。祖母が叔父の家で暮らすようになってしばらくしたころから、母が夜、電話で話すことが多くなりました。電話の相手は恐らく叔父さんだったと思います。

当時は携帯電話など無く、家の固定電話で話すので、内容が聞こえてくるのですが、その内容は、「実家の処分」や「お金の分け方」についてでした。

私もまだ中学生で、そこまで内容がわかったわけではないのですが、子供ながらに「おばあちゃんの家を売るんだな」とか、「お金をどうわけるか話し合っているんだな」というのはわかったのを記憶しています。

これは私の想像ですが、祖父が亡くなった時に恐らく、遺産分割は特に行わず、法定相続通りに相続したのではないかな?と思います。祖母が実家に住まなくなると、そこに誰も住まなくなるので、恐らく売却してそのお金を兄弟で分けるという事になったのでしょう。

電話で話していたのは1度や2度では無く、数カ月は定期的に話していました。そして電話が終わると、母はいつもブツブツ言っていました。泣いていたこともあったように思います。

ちょっと記憶は曖昧なのですが、母はいつも兄の文句を言っていました。子供ながらに、「きっとお金の分け方で揉めているんだろうな」と感じたことを覚えています。



子供ながらに感じた「争族」でした。

とはいえ、そんな「争族」も終焉を迎えていくのですが、続きはまた次回。

第3回は、「「争族」のその後」です。お楽しみに!お読み頂き、ありがとうございました。

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